(問1)
道草は無駄ではなく、豊かな人生を送るためには重要である。道草の過程で学んだことは、大きくなってから意味をもつ。道草は一見遅れをとっているように見えるが、全体としてはつじつまが合うようになっているのだ。(99字)
(問2)
筆者も述べているように、道草は自分の人生を支えてくれる「もうひとつ」の勉強であると私は考える。道草を通した自然や人との触れ合い、その中で感じる喜びや悲しみ、成功や失敗は、人生を支える重要な要素となり得る。ただしそれは、道草は有用だから積極的に行うべきだ、ということとは少し異なる。有用だから行うというのは、受験知識の習得と同様の「目的」を重視した考え方であり、そのような仕方で何かを体験しても人生を支えるような何かにはなり得ない。人は何かを求めて道草を食うのではないからである。
道草とは一種の偶然である。宿題から逃げるために、病気になったために、人は道草を食う。浪人も一種の道草である。決して望んだわけではないが、真っ直ぐな道を歩けない状況に置かれる。そうした時にただ漫然と過ごしていれば、道草で得た体験は身に付かず、将来に意味を持つものとはならない。日頃から好奇心を持ち、身の回りに起こる事柄をしっかりと受け止められる感受性を備えていれば、道草もまたその後の人生を豊かにする要素となり得るのである。この意味で、道草を意味のある道草に出来るような「生きる姿勢」が重要なのだと私は結論付ける。(495字)
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