(要約)
私たちは日々の生活の中で、自分なりの規範を持って暮らしている。だがいま、家庭でも、社会でも、その規範があいまいになっている。「こうあるべきだ」という考えかたそのものが力を失い、情緒的な反応を行動の基準にする生きかたが主流になってきている。だが明確な価値基準を家庭や社会で与えられない世の中だと、子どもが自分の中にしっかりしたよりどころを作ることも、自己肯定感を育てることもむずかしくなってしまうのだ。(198字)
(論述)
医師を志す私が考える「医師としての価値基準」とは、患者自身の健康にとって良いと思われることを、最大限に実現すべきだ、ということである。なぜなら医師には患者の健康を守る責任があるからである。どんなことがあっても、患者の健康のために自分の知識と技術を駆使して貢献するよう役割を与えられているのが医師という職業だと考える。
一方で、患者は患者でそれぞれの自分の価値基準を持って病院へとやってくる。生活習慣病の患者でも、人生の楽しさを求めて、あるいは治療の面倒臭さを嫌がって、不健康な生活を続けようとする人もいる。そういう場合に医師の側が確固とした価値基準を持っていなければ、患者のQOLや自己決定権に押し切られて、医師として安易に妥協してしまうことになる。だがそれは結果として患者自身の健康を損なうとともに、自分自身の責務を十分に果たしていないことにもなる。だから、筆者が述べているような「押し切る強さ」は、医師が自己の治療方針を説得する際にも重要になってくるのだ、と私は考える。
ただし、患者は自分の子どもではなく、自己と対等な一人の尊厳を持った人間である。患者の思いや考えに対しては十分に共感しつつ、それでも患者の健康と幸福を願う一人の人間として、健康を維持するためにやるべきこと、やってはならないことを、誠実に訴え続けなければならない。その譲らない姿勢が患者を動かすはずだ、と私は信じている。(590字)
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