(A:私は自分の本当の気持を周りの大人たちに言わない子供だった。なぜなら)
私がどんなに周りの大人に本当の気持を伝えようとしても、その気持ちはうまく言葉にならないうえに、その拙い言葉を大人たちはいつも誤解し、的外れな慰めや励ましを与えてばかりだったからだ。そのたびに私は「ああ、分かってもらえないんだな」という寂しさを味わった。そしてこの寂しさを味わうくらいならむしろ大人の喜びそうな子供らしい言葉で適当な事を言って大人の的外れな反応に傷つかない方を選ぼうと思い、自分の気持ちを心の奥深くにある箱の中に閉じ込めてしまった。そして自分が大きくなったら、相手の気持ちをきちんと汲み取って本当の気持を伝えられる大人になろうと思ったのである。
しかし実際に大人になってみると今度は逆のことが起こったのである。私はできるだけ相手の言葉から真意を汲み取ったうえで私の本当の気持を伝えようとした。しかしその度に相手に不快な顔をされたのである。相手が自分の気持ちを伝えようとする時、実は私の本当の気持を聞きたいと思っているわけではない。相手が求めているのは「自分の言葉をちゃんと聞いてくれること」「そのまま受け入れてくれること」「相手の望む言葉を私が発すること」であって、私が相手の言ったことをどう思っているかは、相手には実はどうでも良いことだったのだ。そして、私がいつの間にか子供の頃に自分が嫌悪していた「的外れな慰めや励ましを与えていた大人」になっていたことに気が付いてしまったのである。
(B:だから私は今でも本当の気持を誰にもほとんど言わないことにしている。)(創作部分598字)
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