「情けは人のためならず」ということわざは、情けは人のためではなく自分にかえって来るものだから、積極的に他人に情けをかけなさい、という意味である。最近では、情けは人のためにならないので、人に安易に情けをかけてはならない、という意味で考えられることも多いと言う。しかし私は情けのことを「思いやり」に置き換えて考えれば、やはり元々の意味の方が重要だと思われる。人はお互いに支え合って生きるものであり、思いやりの連鎖が、自分を含めた人間関係や社会全体をより幸福なものにしていくことは明らかである。そのためにはまず自分の方から積極的に「情け=思いやり」を持って他者に接するべきである。このことわざはそうした人間関係や社会のあり方を踏まえた、あるべき「人間の態度」を教えてくれていると思う。
しかし私はさらに一歩踏み込んで、「情けは人のためならず」は「人間の態度」としてはまだ不十分である、と主張したい。人はたとえ自分に恩恵がかえってこなくても人に情けをかけるべきである、と考えるからである。
例えば教師という仕事は教えた生徒からの「情け」を期待して行われるものではない。学習によって得られた「合格」という報酬は本人のみに帰せられるのであって、その生徒からの「後の見返り」を見込んで生徒に「情け」をかけるのではない。しかしその生徒は後に立派な社会人となって、他の人々や社会に大きな恩恵を与えるだろう。教師はそれを「自己の幸福」として受け入れるのである。
医師という職業も同じである。患者を治療し、健康と命を守るのは、患者から自己への見返りのためではない。患者が回復することや健康であること自体を自己の幸福とし、回復後の患者が幸福な人生を送ること自体を自己の幸福とする。見返りは決して「自分」には戻って来ないが、それでも患者の幸福な人生は医師に生きる意味を与え、患者と周りの人間に新たな幸福を与える。よって「情けは自分のためでなくてもかけるべき」というのが私の結論である。(826字)
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