「ともに社会を生きる」ということは、障害者にとっては大変難しいことなのだ、と私はこの記事を読んで考えた。この記事では、事故によって胸から下の麻痺した少年が、車椅子バスケットを通して「自分の居場所」を見つけ出すまでの話が書かれている。確かに自らの人生の希望を失った状態に比べれば、自分なりの人生の目的を見出しつつある現在は、少年にとって良かったのだと言える。しかし、彼はこの先、社会の中でどのように生きてゆくことができるのかと考えた場合、多くの困難が待ち受けているだろうと予想する。
「ノーマライゼーション」とは、障害者が社会の中で健常者と同様に生活できることを当たり前であるとする考え方である。確かに実際、数多くの物理的な障害が取り除かれ、以前より障害者にとって住みよい社会が出来上がっていることは間違いない。だが一方で、仕事や交通面での平等性や、何より人間としての対等性が、障害者にとって満足できる形で達成できているわけではない。それは私たちの意識や社会の仕組みが、まだ健常者を基準として考えられているからである。この壁を、健常者の側から取り払うべきなのである。
障害者が社会の中で当たり前のように暮らせるためには、私たちが今まで以上に障害者の立場をきちんと理解し、サポートする必要がある。その際大切なことは、健常者が障害者を同じ社会に住む尊厳を持った個人であると考え、支援を行うということである。障害者は弱者でもなく、気の毒な人でもない。彼らは健常者と同じように、自分の人生に対する誇りを持っている。同じ社会に生きている以上、対等に扱われるのは当然である、という意識を、障害者だけでなく健常者もきちんと持った上で当然行うべき支援を行う、という心構えが肝心なのである。そうすることによって、はじめて本当の意味で障害者と健常者は「ともに社会を生きる」ことができる。私もそうした心構えを持って生きようと思う。(797字)
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