【小論文解答】:2022年/産業医科大学/医学部/本試験/Ⅱ
〔設問1〕
「昨日も今日も阪神が勝ったので、明日も阪神が勝つ」という予測は、「繰り返し起こることは法則化できる」という帰納法に依拠して「阪神が勝った」という事態が繰り返し起こったのでこれを法則化し、次に「法則化できたことは、他の現象にも応用できる」という演繹法に基づいて「他の試合でも阪神が勝つ」という仕方で立てられたのだと思われる。
ただし実際に帰納法と演繹法が論理として成り立つためには「この世界は同じことをすれば、同じ結果が返ってくるようにできている」という仮定が前提として必要である。しかし阪神が昨日と今日勝った、ということはむしろ「結果」であって「昨日と今日の結果が同じであれば、明日も同じ結果である」と言っているに過ぎない。また阪神が勝つための前提となる「同じこと」を試合で行うことは原理的に不可能である。よって実質的に帰納法は論理として成り立たず、この論理から演繹的に導き出された予測は「正しい」とは言えず、法則化することもできない。
一方、「リンゴを枝から切り離せば地上に落下する」という法則は「この世界で同じことをすれば、同じ結果が返ってくるようにできている」という仮定に基づいて、実際にリンゴを枝から切り離すとどうなったか、という事例を集めても、おそらくすべてが地上に落下する」という同じ結果が返ってくるはずなので、帰納法と演繹法は論理として成立する。よってこの法則は「正しい」し、「これからもリンゴは地上に落下する」という予測も「正しい」ことになる。(解答欄:縦22㎝×横15・4㎝)
〔設問2〕
「科学的な真理」は存在すると私は思う。筆者は科学的な真理を、特殊な条件下のみで成立する非現実的なものであり、現実に反映できなければ役に立たないと述べている。しかし逆に考えれば、科学的な真理が存在するからこそ、それが1つの「物差し」となって個々の現実の妥当性を判断できるのである。その意味で科学的な真理は存在しているはずであり、かつ役に立っているとも言える。科学的な真理が存在する場所は「観念の世界」だが、観念だからと言って「幻想」であるとは言えない。ある条件下で無限に再現可能な法則が存在する、という科学的な真理は、異なる条件下でどのような調整を行えば真理に近づけられるか、という思考と試みとを生み出す。科学的な真理を否定すれば、何を手がかりにしてどのように改善すべきかがわからず、阪神の勝利のような経験則に陥らざるを得ない。科学的な真理が存在するから現実の改善の普遍性が担保されるのだと私は思う。(399字)
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