筆者は課題文の中で、日本人が世界の中で圧倒的多数派を占める他の低開発国と比べてはるかに物質的に豊かであるにもかかわらず、欧米諸国の方ばかりを向いて、未だに「日本人はほんとうはまだ豊かではない」と考えようとする日本の知識人の論調を批判している。その上で、私たち日本人は、世界の中での自分たちの恵まれた状況をきちんと理解し、豊かさを素直に楽しんで、それにひそかな満足を感じるべきである、と主張している。
確かに筆者の言うように、日本は他の諸国に比べて物質的な面では圧倒的に恵まれているのだと私も思う。貧しくても衣食住に困ることは滅多にないし、どの家にもテレビやパソコンがあり、自動車や交通機関といった移動手段は充実し、スーパーには世界中の食べ物が並んでいる。こうした状況に満足できないとすれば、それは日本人が「節度」を忘れた人間に成り下がったということであり、決して肯定できることではないと私も考える。
しかし一方で日本人は、他のどの国よりも「心の豊かさ」を感じにくい時代を生きているのだとも考える。大人も子どもも多忙さに紛れて、お互いに密なコミュニケーションを行う機会を減らしている。多くの物に溢れていても、それを共有し、共に楽しむ相手が居なければ、そうしたものに価値は無い。他者と共に喜びや悲しみを分かち合い、互いの存在を認め合い、また認められ合うことで、人は本当の満足感を手に入れるのだと思う。
関係の中での満足感が得られなければ、その不足を補うために物欲が上昇するということは大いにあり得ることである。家族の団欒や友人との語らいに価値を見出し、共に過ごす時間を大切にする。これらは物質的には豊かでなくても、本当の満足感を手に入れるための必要条件である。物質的な豊かさを享受するためには、それに見合うだけの「心の豊かさ」を手に入れることが先決であることを、我々はきちんと理解すべきであると思う。(793字)
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