筆者は「日本人のコミュニケーション」には「発信者と受信者の関係」の中で自己が上位に立って相手に自己のメッセージを受け入れさせることを重視する、という特性があると考えている。上位に立つためには、相手よりも自分の方が「事情通」であるかのような態度を取り、相手の質問を鼻先であしらい、議論の設定をひっくり返して自己の専門的知見を素人に上から目線で言ってあげるような態度を取ることが重要となる。その結果としてメッセージの真偽や当否の検証、また対立者に対する情理を尽くした自己の立場の説明、といった相互理解を目的とするやり取りが蔑ろにされる、というのが筆者の考えである。
私はこの筆者の考えに関して、私もまた「日本人」としてこうしたコミュニケーションの特性に陥らないようにすべきだと考えた。特に私が将来なろうとしている「医師」という職業ではそうした特性に陥りやすい傾向がある。医師は医療に関してはいわゆる「事情通」であり患者は「素人」である。医師は医療行為においては「上位」に立ちやすく、「素人」としての患者の質問を鼻先であしらい、専門家の立場から患者の問題設定の地盤を覆すことで、自己の正当性をそのまま患者に受け入れさせようとする恐れがある。しかしそれは医療行為の主体が「患者」であることを忘れた不遜な態度であると言わざるを得ない。
自分が手に入れた専門的知見は他者に対して自己がより役に立つためのものであって、自己が他者より優位に立つためのものではない。社会は各自が手に入れた専門的知見を、他者の幸福のために相互に役立てることによって成り立っている。そうしたことを念頭に置くなら、相手が納得するような十分な説明や、対等性を重視したメッセージの検証は当然必要だと言える。筆者は恐らく、専門家としての自戒を込めてこの文章を書いたのだろう。私も筆者の自戒を自己の自戒として胸に刻んで生きていきたい、と考えた。(793字)
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