健康と病気は対立するものではなく、両立するものでなければならない、と私は考える。なぜなら健康とは自分の人生を肯定する主観的な価値観であると言えるからである。WHOの考える「病気がない状態としての健康」は、感染症や骨折といった一時的な疾病に対しては当てはまるかもしれないが、本文にもあるように高齢者の大半は持病を抱えているし、高齢者でなくても持病を抱えた多くの人々がこの社会で暮らしている。彼らが自分のことをWHO的な意味で「病気」とみなすことは、どうにもならない現状を前にして自己の人生を後ろ向きに捉えて生きることにつながる。こうした言葉の呪縛から解放され、筆者の言う「主観的な健康」を前向きに受け入れることで、人は自分の人生を自信を持って生きることができる。足が痛くても、生活習慣病を抱えていても、生きがいと尊厳を持ち、他の人々と笑い合って暮らせるならば、それは「健康」と呼んでも良いのだと私は思う。
そしてこうした健康観を最も持つべきなのは医師である。医師は病気を治療するのが使命であるが、今後は「主観的な健康」を支えるための新たな医療の姿をきちんとイメージすることが求められる。患者を「病人」扱いせず、病気を抱えて一生懸命生きている一人の個人として捉え、二人三脚で歩む隣人として何が出来るかを考える必要がある。そうした医師の姿から、患者もまた元気をもらうこともあるに違いない。私はそう願っている。(597字)
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