人を疑うことは、医療人にとっては必要不可欠なことである。患者の診察を行う時、患者はいつも医師に対して本当のことを話すとは限らない。お酒を控えるようにと言われているにも関わらずお酒を飲んでいる患者が「その後お酒は飲んでいませんか?」と尋ねられたら、おそらく「はい、飲んでいません」というだろう。喫煙や、高脂質の食事を食べている人もそうだろう。あるいは自分の病気に対して思い当たる節があっても、それがあまり人に知られたくないことであった場合でも「思い当たる節はありません」と言うだろう。そうした患者の言葉を真に受けて医師が治療や処方を行ったら、患者の健康や命を損なうことになりかねない。そうならないためにも、医師は患者の言動を疑い、その奥にあるかもしれない「本当のこと」を引き出し、的確な対処を行う必要があると私は思う。
もちろんその際には「あなたは噓を言っていますね。本当はどうなんですか?」などと言っても逆効果にしかならない。患者は仮に自分が嘘を言っていたとしても「自分が疑われていること」に対して嫌悪感を抱き、そのような発言を行う医師に不信感を抱く可能性が高いからである。患者を疑うことが医師にとって必須のことであっても、患者の本音を引き出すためには、嘘を言っている患者に対する「共感」の気持ちを持ち、彼らの尊厳を傷つけないような「配慮」を行う必要がある。患者を疑う医師自身もまた患者の側から医師としての適性を疑われている、という自覚を持って患者と向き合うことが大切である。
人間関係においては「相手の嘘を疑いつつも受け入れる」という姿勢はとても大事なことではないかと私は思う。相手が言いたくない気持ちを、それ自体として受け入れる。それは相手の尊厳を尊重することと同じである。そして互いがそういう状態にある時こそ「信頼関係」が構築され、人は本音を語り出す。相手を疑いつつも受け入れ、なおかつその先を模索する。そういうことができるような人間に、そして医師に、私はなりたいと思う。(796字)
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