私たちが皆、認識において完全に未来志向的になることは、未来を薔薇色にしないと私は考える。イーグルマンの「どんな場合も犯罪者は、他の行動をとることができなかったものとして扱われるべき」という提言の背後には、犯罪は根本的に環境や遺伝子の産物である、という考えがあると思われる。それを筆者は本文で「科学的認識」と言い換えているのだと考える。未来志向的になるということは、この提言を受け入れて、罪を犯した人間の倫理的・道徳的善悪判断を不問とし、その後の対処を前向きに考えるということを意味する。これは例えば罪を犯した者が今後更生する余地があれば積極的に社会復帰させ、遺伝等の原因で更生が不可能なら隔離をする、といった考えにつながる。人は過ちを犯すものであり再生の機会は排除されてはならない、という考えは一見前向きに見える。
一方この考えは「失敗は一度なら許される」といった安易な判断を犯罪予備軍に対して助長し、犯罪に対する心理的負荷を軽減し、さらに犯罪は環境と遺伝の産物である以上責任を問われる必要はない、という考えさえ生みだすだろう。これにより良心の呵責なく罪を犯す人とその被害者の増大という、薔薇色からほど遠い未来も想定できる。本文にあるように「その行為はしないこともできた」という過去志向的な考えは、してはいけない行為をした人間として犯罪の当事者を強く非難し反省を促す。社会全体がそうした価値観を共有することで、安易に犯罪に走ろうとする予備軍の行為を心理的・現実的に抑止し、自己反省と自己制御に基づく安全な社会の形成、という未来志向的な効果が期待される。
非難を基盤にした倫理、という過去志向的な価値観は、医師においても大切なものである、と私は考える。人は過ちを犯すものであるが、それは強い非難に値することだ、という価値観が、安易な過ちを抑止する「戒め」として医師には必要なのだ、と私は思う。(792字)
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