〔問1〕(※解答例)
〈悲〉の思想の大切さ(10字)
〔問2〕
人を励ますときには、相手の問題点や改善点を適切に指摘し、自分で困難を乗り越えられるように支えるという仕方で相手に対峙するが、慰めるときには、問題点も含めた上で相手を受け入れ、その存在を肯定するという仕方で相手に対峙する。慰めが人の心を救うのは、たとえ間接的にではあれ、自分の苦しみや辛さを分かち合おうとする他者がいることで、自分はひとりではないという一種の心の安らぎを得られるからだと私は考える。(198字)
〔問3〕
医療現場において患者に対する「励まし」と「慰め」は、患者の状況と気持ちのあり方のバランスの中で使い分けられるべきであると私は考える。状況に関しては、例えば患者が回復可能ではあるけれども自分の病状を深刻に受け取り、一時的に落ち込んでいる場合や、生活習慣病の回復のための努力がなかなかうまくいかない場合などは、本文の父親のように自己の回復に前向きな気持ちを奮い立たせ元気づけるような言葉で励ますことが重要であるが、もはや自分の力ではどうにもならない病状の場合や、苦しい闘病生活を続けて心が疲れている場合には、本文の母親のように相手のことを思いやりつつ共に寄り添い苦しみを分かち合うような慰めの気持ちを言葉や態度で届けることが重要となるだろう。
一方で、患者に対する「励まし」や「慰め」は患者の状況に応じて類型化されているわけではない。気質や価値観、これまで生きてきた人生の経験等の積み重ねがその人のあり方を形成している。同じ状況であってもその人に必要なことが「励まし」であることもあるし「慰め」であることもある。自分の状況に対する患者の捉え方はさまざまであり、それは表面的な所作や態度からだけでは判別することができない。相手が何を望んでいるのかをきちんと理解するためには、相手と真摯に向き合い、心の声に耳を傾けるような医師の側の「きめ細やかさ」や「丁寧さ」が要求される。そうした自覚を持って医師がふるまい、言葉をかけることで、患者の生のありようが変わってくるのだ、と私は考える。
筆者の言葉を借りれば、これから医師を目指す人間に必要なのは「科学的かつ合理的なアプローチ」と「感情、情念というものを豊かに育てること」の両面であるだろう。私もその一人として、勉学に励むとともにいろいろな人と関わり、言葉を交わし、経験を重ねることで、自分の感情や情念を豊かにして患者に必要とされる医師になりたいと思う。(794字)
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