私は問題資料を読んで、「希望」についての私の従来の考え方に変化が生じた。私がこれまで考えていた「希望」とは次の2つあり、1つ目は「幸運」に近いものとしての「希望」である。今はうまくいかないが、何かの拍子に「良い機会」に恵まれて成功を手に入れることができるかもしれない。そうした思いを私は「希望」としてよく抱いた。2つ目は「努力によって得られるもの」としての「希望」である。今自分が行っている受験勉強が良い例である。コツコツと努力を積み重ね、合格の2文字が見えてくる。この目の前がだんだん明るくなってくる感じが「希望」であると考えていたし、今でもそう認識している。
一方、問題資料で述べられている「希望」は、どちらとも異なるものだった。その希望は「剥き出しの現実」に根差しており、例えば死といったどうにもならない状況の持つ本当の脅威を考慮に入れつつ、困難に対して良い未来への道を見いだそうとする時に経験する感覚を高める、と著者は述べる。信念と期待を持って困難に立ち向かうことで、希望は精神と身体を大きく変える。著者が「真の希望」と呼ぶこの希望はまだ私の知らないものである。なぜなら私はこの希望を必要とするような「真の困難」の経験がないからである。
しかし、この「真の希望」は私がこれから医師となる上で知っておくべき重要な希望であると私は考える。医師としての私が直面する患者は、すべてが容易に回復可能な病気を抱えているわけではない。それを重い現実として受け止めつつ、どうやったら少しでも改善の可能性を高められるのか、採るべき最善の道はどこなのかを、当事者である患者以上に真剣に求めなければならない。またそうした私自身の態度や取り組みが、希望を失った患者に、共に闘う勇気と生きる喜びを与えることもあるだろう。この問題資料は私に「希望」の考え方だけでなく、医師としての考え方の変化を与えてくれたのである。(791字)
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