日本の若者は他国の若者とくらべて臓器提供にあまり熱心ではない。それは彼らが自己中心的で社会貢献に対してあまり熱心に考えていないからである。彼らは閉鎖的・保守的だが死後でも身体を傷付けるべきではないといった日本の旧来の伝統的な価値観の多くから解放されており、諸事実と情報で焦点を絞れば臓器提供に前向きにある可能性もあるが、おそらくそうした人数は多くはないだろう、というのが本文中で示される若者像である。
私はこの考えに対して、肯定できる点とそうでない点がある。まず肯定できるのは彼らが閉鎖的・保守的であり、かつ日本の旧来の伝統的な価値観の多くから解放されている、という意見に対してである。若者はすでに旧来の仏教的な考えに基づく身体観を持たず、死後の身体の扱われ方に関するこだわりはおそらくない。一方で旧来の日本人同様、彼らは閉鎖的・保守的で現行の慣習を変えようとする積極的な意志を持っていないと考える。
肯定できないのは彼らが自己中心的で社会貢献に対してあまり熱心ではない、という意見に対してである。モラルやマナーに関しては若年層の方がよく守っているように感じられるし、災害時にボランティア活動として現地に赴き復興活動に貢献する若者も多くいる。彼らはSNSを駆使しながら知らない者同士であっても緩やかに連帯し、協力関係を構築することができる。したがって社会貢献としての臓器提供には関心があるものの、年長者の抱く旧来の仏教的身体観を変更したくない、というのが若者の考え方の実情だと考える。
こうした中で臓器提供により積極的な若者の数を増やすためには、まず年長者が範を示すことが重要なのではないかと私は思う。他国の状況と比較しても若者の心は動かない。自国の年長者が旧来の身体観を乗り越え、臓器提供を実践することで、若者は時代の変化を実感するはずである。若者に期待する人間はまず自らが範を示すべきだと私は考える。(793字)
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