私がアザラシだったら「ニンゲン」の想像力の欠如を嘆くと思う。「ニンゲン」は自分たちが要らなくなったものを、山の奥にこうやって捨てることで「無かったこと」にする習性を持っている。私は海の底でも同じようなものがたくさん捨てられているのを見た。視界に入らなければ、それは無かったことと同じなのだ。でも捨てられた場所は私たちアザラシをはじめとしたたくさんの生き物の「生活の場」であり、私たちはこれらのゴミを迷惑に思いながらもどうすることもできずに日々を暮らすしかない。困ったものである。
彼らは大きなトラックでやって来て、この大量のゴミを捨てていった。トラックで運んだ「ニンゲン」は、自分たちが何をしたのか分かっているだろう。でもこのゴミを最初に作り出した張本人は、自分がまさかこんな辺境のアザラシに迷惑をかけているとは、まったく想像すらしていないだろう。たまたまこうやって誰かが写した映像や写真を見ると、彼らは「かわいそう」「ひどい」などと言うが、原因が自分であるとは考えないのである。私はそうした「無自覚の加害者」の想像力の欠如が私たちを一番苦しめると思うのだ。なぜなら加害者であるという自覚がない「ニンゲン」は自己の行為を反省することも改めることもないし、私の目の前のゴミが自分のせいでここにあることも理解しないからである。
「ニンゲン」は、私たちアザラシに対してばかりではなく、ニンゲン同士でも同じようなことをしているのではないか、と他人事ながら心配になってくる。相手の状況や自分の行動・言動の影響を想像することもなく、自分の価値観に基づいて相手に自分のやり方を一方的に押し付けて迷惑をかけ、しかもそれに気づかない。それは誰かの目の前にゴミを置いて去っていくのと同じである。私はそうした人びとに「このゴミを置いていったのはあなたですよ」と言って回りたい。今度「ニンゲン」に生まれたらそうすることにしよう。(796字)
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