木の棒に風呂敷包みを挿して、靴紐もほどけたまま、少年は家を飛び出してきたらしい。お母さんと些細なことで喧嘩でもしたのだろうか。少年は意気揚々と歩いていたに違いない。ただしそれは途中までで、行く当てのない少年はだんだん不安になり、顔を下に向け、とぼとぼと歩いていたに違いない。そして巡回していたおまわりさんが少年を見つける。少年の様子を見て大体のことを察したおまわりさんは、お茶でもおごらせてくれないかと声をかけ、近くの喫茶店へと少年を導いた。私はこの絵の状況をこんな風に理解した。
おまわりさんは大きな体を少年の方に傾け、少年の目を見ながら笑顔で話を聞いている。最初は他愛のない話をしたのだろう。やがて少年はぽつりぽつりとお母さんと喧嘩をしたことや家を飛び出したことを話し始める。おまわりさんは少年に意見を述べることなく「そうか」「そうだね」と言いながら少年の言い分を聞く。少年には少年なりの理由があって、こんな無謀なことをしているはずである。まずはそれを受け容れなければ、少年は心を開かない。その状況を見守っている喫茶店の店主のまなざしも、優しく少年に注がれている。おまわりさんから聞かなくても、店主はおまわりさんの意図を察した上で、少年の言い分をきちんと受け止める。2人の大人は、決して少年を子どもあつかいしないのである。
そうしておまわりさんは少年にこれからどうしたいか聞くだろう。少年はきっと「帰りたい」と答えるに違いない。おまわりさんは「自分が一緒に家まで行って、お母さんに説明するから大丈夫だ」と言って彼の家に一緒に行くだろう。2人でお茶を飲んだ後に。
この絵に出てくる2人の大人は、私が将来どのような大人であるべきなのかを、はっきり目に見える形で示してくれているように思う。人を軽んじず、体と耳を傾け、共に考え、時に支える。そうしたあり方を肝に銘じて生きていこう、とこの絵を見て私は思った。(792字)
(※問題の現物確認ができませんでしたので、「この絵を見て思ったこと(感じたこと)を述べよ」という設問設定で書いています。)
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