居心地のいい場所っていうのはエアコンの効いたおしゃれな場所とは限らないし、ふかふかのソファーが置いてあるリビングであるとも限らない。そんな場所に一人で居たって暇を持て余して眠ってしまうか、外に出たくてウズウズしてしまう。だからうんざりするほど暑い日でも、僕は友達のルネの家に行って「どっか行こうよ」と大きな声で呼びかける。するとルネはいつも眠そうな顔をして外に出てくる。彼も暇を持て余しているんだ。
「どっか行こうよ」と言ったって、行くのはいつも同じところ。吹きっさらしの大きな廃屋。そこで何をするわけでもなく、二人はだらだらと時間を過ごす。でも一人で居るより全然楽しいんだよね。何もなくても、ルネとじゃれ合ったり、とりとめのないことを話している時は、僕にとって大事な時間なんだ。ルネだってきっとそう思っているはずだ。
それに僕らのまわりを見てごらん。左側の女の子たちは柱に背を向け合って、何か小さな声で話しながら、ときどき笑い合っている。顔を見合わせなくても、そばにいるだけで心が通じ合っているんだろう。真ん中の犬だって、二匹でじゃれ合っている。とても楽しそうに見える。右側にはおじさんたちが二人で、僕にはわからないことを話している。僕らはみんな違うことをしているけど、「二人、二匹でいると楽しい」という思いは一緒だ。
ここは見晴らしがよくって、風も吹いてくる。建物が影になって、床も結構涼しい。ここで過ごす何て言うこともない時間が、みんな大事なんだと思う。それは子どもだろうが大人だろうが犬だろうが関係ないんだ。僕は多分今日のこの時間のことを明日には忘れてしまうだろう。でも大人になった時にきっと思い出す。その時には「なんていい時間だったんだ」と思うだろう。ルネも、ここにいるみんなも、きっとおんなじだと思うんだ。(795字)
【解説(解答のポイント)】
1:絵の中の共通項をさがすと
「2」という単位が見えてくる。少年2人、少女2人、犬2匹、おじさん2人(一方は見えないが、話しかけている相手が向こうにいる)。ここから「子どものうちの1人(ここでは一番手前の座っている少年に設定した)が思うこと」を
「2人で居ることの楽しさ」と設定し、その大切さを噛み締めるような記述を行った。
2:これがどういう意味で「医系小論文」になっているのかについては、やはり「医系小論文」の目的を踏まえて判断する。「
医系小論文」の目的は「医療人としての資質を問う」ことにあり、それを「医師と患者の関係」において捉えることを重視している。この点について順天堂大学は昔から一貫しており、2018年の問題も例外ではない。「患者」が1人で病気や怪我と向き合うことは難しい。痛みや苦しみを分かち合う相手がいれば、それだけで心の負担は半減する。その相手として「医師」が存在する。もちろん「医師」は治療行為を通して患者の病気や怪我を治し、回復させるということも重要なのだが、それと同じかそれ以上に大事なことは
「患者に寄り添う」ということなのである。そばにいるだけで、まず患者は安心する。話す相手として、語り合う相手として、「友人のような、親子のような」存在として、「医師」は患者に寄り添っていくべきだ、というのが「医系小論文」としてこの写真から引き出せることであろう。これと同じテーマについては、<
u>2015年の「センター利用」の小論文でも、同じように求められている。3:またこの写真に関しては
「在宅医療」の観点からも論じることが可能である。病院のような設備の整った場所で、何かあればすぐに駆け付けてくれるような、至れり尽くせりの病院よりも、
使い勝手が悪いが住み慣れた場所の方が、自分のナラティブな生にとっては価値がある。そこには家族がいて、他愛のない話をしたり、一緒にテレビを見たりして、だらだらと時間を過ごすだけだけれども、それには大きな価値がある。時折友達や近所の人がやって来て、世間話をする。例え寝たきりであったとしても、そんな時間が過ごせるのなら、家で過ごす方が良い。そんなメッセージも、この写真からは読み取れる。そうした
「知った人と関わる快適さ」「いつもの場所の居心地の良さ」という観点から、この写真を分析してもよい。
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