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【小論文解答】:2019年/産業医科大学/医学部/本試験/Ⅰ・Ⅲ

【Ⅰ】
 筆者が人間を「考える葦」に例えたのは、人間が弱い存在であるにもかかわらず、考えるという行為によってかけがえのない存在であることを強調するためである、と私は考える。確かに人間は葦のように弱くはかない存在であるが、人間は自分が死ぬことを自覚することで、自分の一回性・固有性を理解し、そこから「かけがえのない私」という意味での「尊厳」の気持ちが生まれる。その点において、人間は死を自覚できない他の存在に対して何らかの優位性を持つ。しかし同時に、人間はその「尊厳」を他の存在全てに対して認める能力も持っている。存在するものはすべて尊い。その気持ちが他者に対する「思いやり」という人間固有の資質を生み出す。このように、人間は「考える」ことによって自らのかけがえのなさを自覚し、その自覚がすべての存在のかけがえのなさを理解させる。この意味で人間は「強い」、ということを筆者は言いたかったのだ、と私は考える。(396字)

【Ⅲ】
 「仁」とは慈しみ、思いやりという意味であり、「医は仁術」とは、医師は慈しみや思いやりの心をもって人に医術を施すものである、ということを表している。これは、医療の根底には「患者」を病気を持った単なる身体と捉えるのではなく、固有の尊厳を持ったかけがえのない存在と考え、その命を慈しみ、幸福に貢献するという気持ちがなければならないということを、医を志すすべての人に強く示唆する、という意図が含まれている、と私は思った。確かに患者の病気やケガを治すのは医療知識や技術といった科学的側面であり、そこには「思いやり」といった感情は不必要であるように見える。しかし技術の根底にはやはり「目の前の患者の大切な命を救いたい」「苦しみから解放したい」「幸福に貢献したい」という「思い」があり、その相乗効果で本来の医療は成り立っているのである。その意味でこの言葉は、将来医師となる私の心に刻むべき言葉だ、と私は考えた。(396字)
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玄武庵

Author:玄武庵
日本の片隅で予備校講師をしながら旺文社(入試問題正解)・教学社(赤本)等で作問・解答・解説等の仕事をしています。小論文は自分の頭で考えて書くことが一番大事ですが、その際の参考にしてもらえるとうれしいです。頑張ってください。(※コンテンツはすべて無料です)

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