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【小論文解答】:2019年/愛知医科大学/医学部/2月1日分

 私は祝辞の価値は当初と同じで落ちることはない、と考える。なぜなら料金をとる専門家が書いた祝辞が自分の心を動かしたのであれば、それはやはり自分の結婚式の祝辞としてふさわしいものであったし、その祝辞をわざわざオンラインで購入してくれた付き添い人が、自分のことを考えて選んでくれた気持ちは、やはり嬉しいと考えるからである。
 人は相手を祝いたい時、或いは励まし慰めたい時、言葉や物を送ることがある。その時の言葉は必ずしも「自分の言葉」である必要はないし「手作りの物」である必要もない。誰かが作った言葉、誰かが作ったものであっても、それを使用したり購入したりする際には、相手の気持ちを考えてその時の状況に最もふさわしいものを選ぶ。受け取る側はその言葉や物に込められた「送り手の気持ち」に対して、感謝の気持ちを抱くのだと思う。
 これは医師と患者のコミュニケーションにおいても同様に成り立つのではないか、と私は考える。医師は患者の状況に合わせて、用意された頭の中のテンプレートの中から適切な言葉を患者に投げかける。その時に、投げかけられた言葉が適切であるなら、患者は「医師の思いやり」の気持ちを感じるだろう。逆に言えば、患者のことをきちんと考えることのできない医師は、そもそもオリジナルであろうがテンプレートであろうが適切な言葉を選べないということになる。そうした自覚が、将来医師となる私にも必要だと考える。(594字)
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プロフィール

玄武庵

Author:玄武庵
日本の片隅で予備校講師をしながら旺文社(入試問題正解)・教学社(赤本)等で作問・解答・解説等の仕事をしています。小論文は自分の頭で考えて書くことが一番大事ですが、その際の参考にしてもらえるとうれしいです。頑張ってください。(※コンテンツはすべて無料です)

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