【問1】
人は産まれたときは言葉を持たないが、養育者が「こころをもつ存在」として扱うことで実際にそうした存在へと育ち言葉を獲得する。逆に人は「言葉やこころをもつ存在」と見なされない環境の中では実際に言葉も心も失っていく。重度の身体障害者や知的障害者であっても環境や状況、まわりの人々の関わり方次第で言葉を失ったり逆に得たりする。彼らに対等な人として働きかけ、訴えに耳を傾けることが彼らを人にしていくのである。(199字)
【問2】
人は人として扱われることで実際に人へと変化する以上、まわりの人たちは相手が人になれるように積極的に働きかけ、訴えに耳を傾けるべきだという筆者の主張は、将来私が医師として患者とどう関わるべきなのかという点について強い自覚を促すものであった。なぜなら医師という職業は、患者の「言葉」や「こころ」の大切さを忘れやすい傾向を持っており、私も将来そうした罠に陥る恐れがあるのではないか、と思われたからである。
治療方針等に対する自負を持った医師は、患者は知識不足や認識力不足により最善の選択ができないと考え、自分の最善の案を一方的に患者に提示して同意を得ようとする可能性がある。そしてその背後には、患者を「こころをもつ存在」ではなく「病気を持った身体」だと捉える偏見が潜んでいる。その偏見を将来の自分が持たないとは言い切れない。
しかし実際は医師のそういった態度が「患者」が本来持つはずの「こころ」を「自ら閉ざす」ことを促し、彼らを「こころをもたない存在」にしてしまっている、ということになる。相手が子どもや高齢者・障害者であればこうした「思い込み」は一層強まる。しかし大切なのは、むしろ筆者の言う「思い入れ」、つまり相手が本来言葉やこころを持った存在であると「信じる」ことで、その思いが伝わった時にこそ患者が医師に「人としての自己」を開示する。その自覚と努力がこれからの私に必要なことを筆者に学んだのである。(597字)
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