【小論文解答】2015年/鳥取大学/医学部/保健学科/後期
ルソーの「最も多く生きた人は、最も長生きした人ではなく、生を最も多く感じた人である」という言葉は、人の生の価値が単なる長さではなく「充実感」によって決まるということを示している、と私は考えるし、そうした生の価値観に対して私は大いに共感する。もちろん、その「充実感」の中身は喜びや楽しみ、安楽さといった単純なものではなく、幸不幸や喜怒哀楽、希望や絶望も含めて「自分らしく一生懸命生きている」ということにあるのだと思う。そうした「充実感」を最も多く感じた人が「最も多く生きた人」であるという主張には本当に納得できるし、私もそういう人生を送らなければという気になる。
しかしより理想的なのは「最も長生きし、かつ生を最も多く感じる人生を送れること」なのではないかというのが私の考えである。そしてそのために必要な条件の一つに「健康であること」が挙げられる。自分の脚で歩いてどこにでも行けること。御飯をおいしく食べられること。日常生活が苦痛なく送れること。住み慣れた家に住み、近所の人と他愛ない話ができること。そうした日々の積み重ねの中に「充実感」はあるのだと私は思う。しかし高齢化が進んだ現代の日本では、いわゆる「平均寿命」と「健康寿命」との間に10年ほどの差があると言われている。この10年の差を埋め、最後まで健康に暮らせるためのサポートをするのが、将来、医療者を目指す者の一人として、私の責務になるのだと思う。
具体的には、長期的観点からの予防医学、健康診断の充実、運動や食事内容の指導等があり、短期的にはリハビリの充実、ペインコントロール、医療の進歩による治療法の向上等がある。さらに社会的には身体に問題を抱えても社会で健常者と同じように生活できるようなノーマライゼーションの充実等がある。ルソーの知らない現代社会で、ルソーの考えを生かしながら、より良い人生のために貢献していけるように頑張ろうと思った。(795字)
- 関連記事
-
コメント