「さわらぬ神に祟りなし」ということわざは、処世訓としてはとても意味のあることだと思う。余計なことに首を突っ込むと、思わぬトラブルに巻き込まれる。そうした事柄には関与せず、リスクを回避することは、日常生活においてはとても重要なことである。このことはもちろん医療においても同様に重要である。治療法や投薬の際の薬の選択、手術の方法等に関しては、基本的に「さわらぬ神に祟りなし」の方針が妥当である。患者の命や健康を第一に考えるのであれば「安全・安心・安定」を旨とした選択が必要である。しかも通常の場合さわらぬ神にさわれば祟りを被るのは自分自身で済むが、医療の場合には祟りを被るのは患者である。患者のことを考えればこそ、対処の際は慎重に慎重を期し、患者に祟りが及ばないようにできる限りの努力と工夫を行っていかなければならない。
しかし一方で、リスクを恐れずに「神にさわる」ことも場合によっては必要なのではないか、と私は思う。例えば受験生が志望大学を選ぶ際に、リスクを恐れて安全な大学を選べば確かに合格はできるだろうが、自分が本当に実りの多い大学生活ができるかどうかは分からない。自分に明確な目的意識があって、どうしてもある大学に行きたいと考えるなら、リスクを恐れずに挑戦することには意味がある。医療の世界も同じで、リスクに対する挑戦があったからこそ、現在の実り豊かな医療の成果が得られたはずである。もちろん患者は実験台ではないので、安易にリスクの高いほうを選ぶことはあってはならないが、ある治療法や手術によってしか助かる見込みがない、というようなケースについては、リスクを恐れずに立ち向かい、乗り越えていくことが医師には求められていると私は思う。
将来医師になる私は「さわらぬ神に祟りなし」という言葉の両面性を理解しつつ、状況に応じてその意味を使い分けながら、最終的に「祟りなく神にさわる」ことができるような人間になれるよう、努力と経験を積み重ねて行きたい。(821字)
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