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【小論文解答】:2016年/日本大学/医学部/本試験

 筆者は「見る」という働きを「私が何かを見る」ことと「何かが私に見えている」という二つの側面が完全に一つになったものとして捉えている。「私が何かを見る」際には見るべき何かに向かって自らのまなざしを方向付けるために精神を集中する必要があり、それが「見る」ことの能動的な側面となる。一方「何かが私に見えている」際には見えているものは私の勝手にはならず、それを私は受動的に「見る」という仕方で受け入れる他はない。この相反する作用が一体となって「受動的に受け止めざるを得ないものを能動的に見る」という意味での「見る」という働きを成立させている、というのが筆者の理解である。
 そうした筆者の理解は、私達がものを見たりものに気付いたりする際の「見る側の資質」がいかに大切かということを教えてくれる。私達は日常生活のあらゆる場面で「見ているが見えていない」という経験をする。例えば国語の設問を「見ている」が「適切ではないものを選べ」という指示は「見えていない」といったことがある。それは言い換えれば、その指示は確かに目の前に存在し「見えている」のだが、それをきちんと「見ていない」ということでもある。この「見えていない」も「見ていない」も、その原因は「見る」側にある。「見る」側の不注意や知識不足によって、見えるはずのものが見えないのである。
 「見えているもの」は「見る」という行為がきちんと成立することではじめて「見えているもの」となる。そのためには「受動性を磨くために能動性を磨く」という一見矛盾する努力を「見る」側が行う必要がある。目に映るものに常に注意を払い、それが何であるかを識別できるための知識の習得と技術の修練を行う。これによって「見えている」ものを見逃さない人間になれるのである。将来医師となる私にはこの資質はとりわけ必要である。患者を「診る」ことの中に「見る」ということは必ず含まれているからである。(794字)
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プロフィール

玄武庵

Author:玄武庵
予備校講師をしながら旺文社(入試問題正解)・教学社(赤本)・Z会(実戦模試)等で作問・解答・解説等の仕事をしています。小論文は自分の頭で考えて書くことが一番大事ですが、その際の参考にしてもらえるとうれしいです。頑張ってください。(※コンテンツはすべて無料です)

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