「社会の秩序や安全を守るために規制を設ける」ことは、人々が社会の中で共存していくためにはどうしても必要である。なぜなら同じ社会に中にいても、物事に対する価値観や解釈は人によって異なることが多く、各人がそれぞれの主観に従って行動すれば被害やトラブルが絶えないからである。例えば自動車の速度制限は、自動車が他の自動車や自転車、歩行者と社会の中で共存するために設けられている。自動車を運転する各人がそれぞれ異なる価値観で速度を出していたら、社会の秩序や安全は1日も保つことができない。これと同じことが社会のあらゆる場面で想定できる以上、規制は存在しなければならない。
だが一方で、規制を設けることによって失われるものもある。それは一人一人の「良心」や「思いやり」である。各人が社会の中で「他者と共存する」ということの意味をよく考えているならば、本来規制を設けなくても守られる社会の秩序や安全も多いはずである。例えば日本の道路には軽車両専用の道路が極端に少なく、歩行者と自転車が歩道を共用することが多い。その際自転車は歩行者に、歩行者は自転車に、それぞれ気づかいながら歩いたり自転車に乗ったりしていれば秩序や安全は保たれる。そうした気づかいを各人が持つことは社会の秩序を保つために、そして各人が安全・快適に生きるために必要である。
つまり安易に規制を設けることは、社会に秩序と安全をもたらすものの、人に他者への共感や配慮を失わせるきっかけともなる諸刃の剣となるのである。だから「規制を設ける」という決断を下す前に、人が社会の中で生きるということはどういうことなのかということについて、より想像力を働かせることができるような教育や啓発活動を行うことが一番大事なことなのではないか、と私は思う。人はそれぞれ、かけがえのない命を生きている。それを肝に銘じ、他者の幸福を自己の幸福にできる人間になれることが大切だと思う。(796字)
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