毎年無理難題をこれでもかと生徒にたたき付けて苦しめることで有名な小論文である。問題自体は、医療人としての適性を問うこともなければ、時事問題を問うこともない。写真を元に物語を書かせたり、キャンプの計画を立てさせたり、NGOに2万円払うかどうか考えさせたりと、毎年バラバラである。
以前、愛知医科大学の入試担当者と質疑応答を交わしたことがある。1つは、愛知医科大学の面接は圧迫ではないか、ということ。2つ目は、小論文の一貫性のなさについてである。1つ目については「圧迫ではない」という返事であった。教授の中に「素で圧迫のような応対をする人」がいる、とのことであった。ただし面接の評価は複数の面接官の合議制となっており、不自然に高い数値と低い数値は評価の対象から外す、と言っていた。それでもその教授は、以後面接官から外された、と聞いている。2つ目については、私が「小論文は一貫性がないが、求めていることはたった一つしかないと考えているがどうか」と尋ねたところ、「その通りである」という答えが返ってきた。
求めていることとは何か。それは「何とかする力があるかどうか」ということである。医療の現場では予測不能な事態がしばしば生じる。臨機応変に、しかも全力で対処しなければ、患者は死ぬ。とにかく何とかしなければならないのだ。そしてそれを論文で確認したいのである。だからきれいな論文が書けているかどうかよりも、一生懸命自分の力で考えて答えを出そうとしているかどうかが評価の対象となる。その意味で立派に「医系小論文」なのである。
愛知医科大が嫌うのは「テンプレート」である。参考書や問題集にある「解答の雛形」を使って、うまく処理しようとすると、却って評価が下がる。
「とにかくちゃんと考えようとしているかどうかだけですよ」と担当者は言っていた。私から言えることは「当事者意識」を持って考えれば、答えは見えてくる、ということである。心の隅に留めておいてほしい。
コメント