著者が「自立ということを依存と反対である、と単純に考える」ことを間違ったやり方であると考えるのは、自立は自分の意思で行うもので他者に強制されるものではない、と捉えているからだと私は考える。問題文の事例では母親が子供の自立を促すために自分から離すようにして育てた結果、子どもは一人で寝に行くようになった。だがそれは筆者も述べている通り「見せかけの自立」であり、実際は母親からの承認を得るため母親の希望に従っている、という意味で自立ではなく形を変えた服従なのだ。そうした服従に対する精神的苦痛が言葉の遅れとなって現れたのである。その後子どもが母親に甘え、急速に言葉を取り戻したのは、母親に依存しながら生きることを母親に認められ、安心感のうちに自己を肯定することが出来たからである。それは文字通り母親に対する依存であるが、その依存こそが自立を促すきっかけに他ならないと筆者は考えている、と私には思われる。
自立を行うためには、その前提として自己肯定感と自信が必要であると私は考える。自己肯定感と自信は、自分自身で作り上げることは出来ない。「あなたはあなたのままでよい」という他者からの承認があって、人は自分自身で生きるための自信を手に入れる。それは母親からの自立に限らず、家族からの自立、社会の中での自立についても同様である。それぞれのプロセスの中で、人は自分を支えてくれる存在を感じながら自分の意思で自立を目指す。さらに言えば、人はある時には自立を支えられる側となり、別の時には人の自立を支える側となって人生を送る存在であるように私には思える。そうした支え支えられるという循環の中に自分が存在することを十分に自覚して、人は生きてゆく必要がある。自分も多くの人に支えられてここまで来た。早く一人前の医師になって自立することで、今度は多くの人の健康と人生を支える側に立つことが出来るよう、頑張ってゆこうと思う。(796字)
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