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【小論文解答】:2015年/昭和大学/医学部/2月8日分

 安楽死と尊厳死を現時点では同じものと捉えるべきではない、と私は考える。確かに安楽死も尊厳死も、生の当事者である患者の自己決定権に基づき、自己の尊厳を守るために苦痛の軽減を求めている点では同じであるが、その死に方が自然か不自然かという点では大きな違いがある。延命中止から死に至るプロセスは自然なものと考えられるが、意図的に死を早める行為は形を変えた自殺幇助に近い。仮に患者の側に安楽死を望む権利があったとしても、医療の側がそれを行う権利を持っているとは言い難い。医療にできることはあくまでも「いかに生を支えるか」ということであって、その中に「死を早める」という選択は入っていない、というのが私の考えである。従って安楽死は認めるべきではない。
 安楽死を望む理由が「苦痛」であるならば、医療として行うべきはまず末期の苦痛をできる限り軽減できる方法を考えることにある、と私は考える。苦痛が軽減するなら患者は安楽死を望まないはずだからである。死期を早めたいと思うほどに苦しい思いをしている患者が、苦痛の軽減によって、わずかではあるがその人生を充実させることができる。そのような形で患者の尊厳を支えることが、医療の目的としては相応しい。それはまた患者の「自己決定権」の選択肢を増やすことでもあるし、生の可能性を広げることでもある。医師も患者も安楽死を選択せずに済むような医療であって欲しい、と私は考える。(593字)
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玄武庵

Author:玄武庵
日本の片隅で予備校講師をしながら旺文社(入試問題正解)・教学社(赤本)等で作問・解答・解説等の仕事をしています。小論文は自分の頭で考えて書くことが一番大事ですが、その際の参考にしてもらえるとうれしいです。頑張ってください。(※コンテンツはすべて無料です)

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