私にとって、「人間として生きることの意味」は、他者との相互関係のなかで、他者から必要とされる、ということである。人はひとりでも生きてゆくことはできるが、誰からも必要とされない人生は、自分の生きる価値を見出す機会が得にくいため、虚しく味気ないものになるだろう。母親が子供から求められることで自らの存在価値を見出すように、私たちは誰かから求められ、評価されることによって自分の存在価値を見出し、自分の人生を前向きに、肯定的に捉えることができるようになる。それが「幸福」なのだと思う。
もちろん、他者から必要とされ、評価されるためには、自分が他者に対して「役に立つ」存在にならなければならない。そのためには自分の技量を磨き、他者に貢献できるくらいのスキルを身につけることが必要となる。例えば医師は、医療行為を通して他者に貢献する職業であるが、本当に患者の役に立つためには高い技術と豊富な知識、会話能力や人間性といった、全人的なレベルでの人間的向上と、向上のための努力が求められる。そうすることで本当に患者を救うことができるようになるし、患者からの信頼と感謝を手に入れることができる。このようにして医師は患者との相互関係のなかで自分の居場所を与えてもらえるのである。それが医師個人としての「人間として生きることの意味」となる。
こうした意味づけは、高齢者にとっても重要なものとなる。高齢者が病気になっても、それまで地域社会の中で築いてきた人間関係のなかで、頼り頼られる存在として生きてゆくことができれば、高齢者も最後まで自分の人生に「生きることの意味」を見出すことができる。そうした高齢者の健康のために、自分の技量と知識を駆使してサポートすることができれば、医師もまた「生きることの意味」を見出すことができる。このように、「人間として生きることの意味」は相互性のなかで生まれてくるものである、と私は結論付ける。(793字)
- 関連記事
-
コメント