現在、出生前診断には母体から組織を採取し胎児の遺伝情報を調べる「羊水検査」「柔毛検査」と、母体の血液から胎児の遺伝情報を調べる「新型出生前診断」がある。目的は遺伝子異常を伴う子供の治療や出産後の養育環境を準備する等がある。「新型出生前診断」の登場により、胎児の遺伝子異常を調べる際の母体のリスクは大幅に軽減したが、遺伝子異常が認められたほぼすべてのケースにおいて「中絶」が選択されており、実質的には「命の選別」だという批判がある。こうしたメリットとデメリットとをもつ「出生前診断」であるが、私はこうした検査を継続して行ってゆくことに賛成の立場をとりたいと思う。
「出生前診断」でその対処が最も問題となっているのは21トリソミー、いわゆる「ダウン症」である。ダウン症は知的障害や心疾患等の重篤な症状が表れ、流産率や死産率も多いが、実際に生れてきた子供の症状の度合い、生存年数も様々であり、「一人の人間」として生活を送る点で問題のない患者もいる。「命の平等性や尊厳」という点から考えれば、こうした胎児を中絶する可能性の高い検査は倫理的に行うべきではないと言えるが、私はこういった子どもを養育する両親の負担の大きさに比べ、それをサポートする仕組みが社会で十分に整っていないことがより大きな問題であると考える。金銭的にも労力的にも大きな負担を伴うダウン症患者の養育を「命の平等性」だけを主張して強制することは、逆に両親の「人間としての尊厳」を圧迫することにもなる。逆にもし養育を両親だけに任せず、社会全体で支えてゆくシステムがきちんと整えば、「出生前診断」によってダウン症の可能性が指摘されてもきちんと育てたい、と考える両親も増えるのではないかと思う。
「出生前診断」自体を悪と決め付けず、それを取り巻く環境を変えてゆくことで、本来の目的にかなった意味づけを行えるような努力が、社会の側に求められていると私は考える。(792字)
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