課題文の中でストックマン医師は、最も孤独に耐えている人間が最も強い人間である、ということに気がついたと述べている。彼の考えている「孤独に耐える」状況とは、課題文にもあるように、自分が他者に向けて情熱を持って何かを行っているにも関わらず、相生が成立せずに当の相手から非難や無理解を投げかけられても、それを我慢しなければならないような場合である。ストックマン医師がそれに気がついたのは、彼自身もまた同じような状況に置かれていたからに他ならない、と私は考える。この課題文の題名が『民衆の敵』であることは、私の主張の妥当性を支えてくれる筈である。彼は何らかの事情で民衆の非難にさらされ、それに耐えなければならない状況に置かれたのだろうと推測できる。
医療においても、こうした状況に陥ることはある。懸命の治療にもかかわらず、患者が良くならなかったり、死んだりした場合、本人や遺族は医師を恨むだろう。また、患者のことを思って行ったアドバイスを、悪く解釈されて非難されることもあるだろう。そして新薬や新しい治療法を最後の望みとして患者に試みて失敗した場合、周りは医師が「独りよがりな行為で患者を傷付けた、あるいは死なせた」と言って医師を責めるだろう。そうした「報われない状態」が予期せずして人の善意を裏切り、それに耐えなければならない、という運命のあり方を、筆者は「残酷な気がする」と同情的に述べたのだと私は考える。
もちろん、人はこのような状況に置かれても、人と関わることを諦めてはいけない。耐えるということは「それでも相手のために一切をささげ続ける」という覚悟の表れでもある。そうした覚悟を持った人こそ、最終的に人のために貢献できる人間になれるし、他者からの本当の信頼を得ることが出来る。それがストックマン医師の述べる「強さ」であり、私もそうした「強さ」を持って医師として患者と接していかなければならない、と考える。(796字)
- 関連記事
-
コメント