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昭和大学医学部小論文について

 一口に昭和大学医学部の小論文と言っても、担当者が一貫しているわけではなさそうなので、一括りにして特徴を述べるわけにも行かないが、大まかには二つの傾向があり、その二つの傾向の根底には、共通する「テーマ」があるように思われる。それをはっきりさせるために、以下7年分の問題を並べてみる。

●2014/①/生命という観点から見た寿命の巧妙さと冷酷さ
      ②/医学の進歩による医療の信頼の喪失、非難の意味
●2013/①/ジュネーブ宣言に基づき制定された昭和大学の理念の受け止め方(至誠一貫)
      ②/ノーベル賞受賞者の山中伸弥氏のメッセージの受け止め方(失敗の重要性)
●2012/①/医師としての高い倫理性と温かい人間性について
      ②/質の高いチーム医療の実践にとって重要なこと
●2011/①/昭和大学の理念「至誠一貫」と医学の実践との関係
      ②/患者の立場から考える理想のチーム医療について
●2010/①/植物を学ぶと謙虚になる。人間の科学は葉っぱに勝てないということについて
      ②/日本において宗教の果たすべき役割について
●2009/①/100年カレンダーの「あなたが亡くなる日」が語りかけるものについて
      ②/仕事は神聖なものだ、と言う農夫の言葉の意味するものについて
●2008/①/老年者のケアにおける、昭和大学の各学部の協力の意義について
      ②/自分が医師に相応しい理由を恩師に手紙で書く
(※テーマ文は私個人の観点からいずれも要約されている。現物は数行の短文で出題されている)

 ここから、まずは二つの傾向を取り出してみる。

【傾向A】:昭和大学の医療理念、もしくは昭和大学の重視するチーム医療の役割について
      (2013・2012・2011・2008)
【傾向B】:医師という仕事の意味や役割、もしくは医療についての鳥瞰的(俯瞰的)考察
      (2014・2010・2009)

 という二つの傾向が見えてくる。【傾向A】が求めているものは2つある。1つは「昭和大学の理念や特徴をパンフレット等できちんと確認し、意味を理解していることである。そして2つ目は「医療人としての資質や問題意識をきちんと持っていること」である。これらをまとめると「昭和大学が求める医師としての資質を持って、医療の現状と自分の役割を認識し、表明できること」ということになる。これは要するに「受験者が昭和大学に入学するに相応しい人材かどうか」ということを問うているのである。おそらく採点者の側にはある程度の「模範解答」があり、それに近い解答を受験者が書いていれば、その受験者は「昭和大学に相応しい人材」ということになるのだろう。ある意味採点者にとっても評価の基準が分かりやすく(つまりは採点がしやすく)、受験者の側にとっても攻略しやすい問題である。
 【傾向B】が求めていることは【傾向A】が求めていることよりもはるかに難解である。「医療とは科学の力を用いて、非合理な主体(もしくは物語るナラティブな主体、固有性と尊厳を有する主体)としての患者を治療することである」という前提に基づいて、「有限な個人(=個人としての医師)が時間的・空間的なつながりの中で、他者と関わる意味」を考えることが、受験者に求められていることだ、と私には見える。これは思考としては非常に高度なもので、いわゆる「哲学」の領域に関わることである。こうした思考を行ったことがない者、または言語化したことがない者にとっては、まず「言葉が出てこない」というレベルで苦しめられるであろう。正解の可能性も複数存在し、採点者には複数の解答の「妥当性」を見極めるだけの能力が要求される。つまり採点者にとっても受験者にとっても攻略が困難なのである。
 これら傾向の異なる出題を同一人物が行っているとは思えないので、おそらくは「持ち回り」でやっているのだろう。また、二つの傾向の持つ難易度の差が、合否を分ける大きな要因ともなり得ない。何故なら難易度の差によって合格者と不合格者の比率が変化するわけではないからである。難易度に基づく平均点の上下は、合格者数の上下とは全く無関係である。だから問題が簡単だったからといって安心できるわけではない(何故ならみんな書けているから)し、問題が難しかったからといって心配する必要もない(何故ならみんな書けていないから)のである。
 私がこれら二つの傾向に共通していると考えている「テーマ」とは、端的に言えば「私とは何者か」ということである。【傾向A】はそれを「昭和大学で医学部生として学び、将来医師として医療に従事する者」として具体的に問うていると言えるし、【傾向B】はそれを「有限な個人が歴史の流れの中で、その恩恵(通時的に培われた医療の技術や知識)を受けつつ、それを同時代の人々(共時的な共同体の他者=実存としての他者)に提供し、なおかつ恩恵を発展させて次の世代(仮想としての通時的な他者)に伝えるという役割を持った者」として抽象的に問うていると言えるのである。
 したがって、もし昭和大学の小論文に「対策」と呼べるものが存在するとするならば、それは「私とは何者か」を問い続けることであろうと思われる。決して難しいことではない。簡単に言えばそれは「自分の将来をきちんと考える」ということに他ならないのである。
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玄武庵

Author:玄武庵
予備校講師をしながら旺文社(入試問題正解)・教学社(赤本)・Z会(実戦模試)等で作問・解答・解説等の仕事をしています。小論文は自分の頭で考えて書くことが一番大事ですが、その際の参考にしてもらえるとうれしいです。頑張ってください。(※コンテンツはすべて無料です)

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