学校や職場における「いじめ」について、私は完全に解決することは困難でも解決に向けての具体的な行動を進めてゆくことが必要だと考える。まず前提として共有しておくべき認識は「いかなる場合でもいじめは絶対に良くない」そして「いじめる側が絶対に悪い」ということである。いじめの原因は多々あるがいずれも「いじめ」を正当化できる根拠にはならない。人はどのような理由であれ、それを根拠にしていじめを正当化する権利を持たない。だからいじめる側は権利なく不当に相手に危害を加えているという意味で、いじめる方が絶対に悪いのである。いじめを問題にしようとすると「いじめられる方にも問題がある」とか「いじめの定義が曖昧である」と言って問題を相対化しようとする動きがあるが、いじめは悪だという共通認識は絶対に動かしてはならない。そしてその認識を前提として、学校でも職場でも啓発活動を積極的に行っていじめを抑止すべきなのである。
しかし一方で、いじめは人間にとって本能的な傾向で、解決は極めて困難である、という事実も否定できない。いじめる側は仮に頭ではいじめの不当性を分かっていても、衝動や感情のレベルではそれを抑止することが出来ないのである。そこで重要となるのは「まわりの人々」である。いじめの現場で彼らが口を閉ざせば、いじめる側は自分の行為が正当化されていると考え、いじめをやめないだろう。周りで非難する声が増えれば、学校や職場で自分の居場所がなくなることを恐れ、自らの行為や衝動を抑止するようになる。
だから「周りの人々」は積極的に声を上げなければならないが、その際には彼らがいじめる側からの圧力に屈することを防止する機構がしっかりしていなければならない。学校では教師がそれに当たるし、職場では上司がそれに当たる。そうした人々が高い倫理観を持って「周りの人々」の発言の権利を守ることが、いじめ減少の第一歩だと私は考える。(793字)
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