私立大学医学部の面接では「医師の志望理由」と「大学の個別理由」を別々に質問する。理由は両者の質問の意図が、それぞれ異なるからである。以下、どのように異なるのかと、それをどう理解して答えるべきかについて、簡単に私見を述べる。
①:「医師の志望理由」
確認したいのは「動機の強さ・必然性」と「医師の仕事に対する理解・自覚」である。例えば医師の志望理由として「幼い頃怪我をして、近くの医師に治してもらった時に感動して、自分もこういう医師になりたいと思って医師を目指している」ということを挙げたとする。しかし「幼い頃怪我をして医師に治してもらう」ことなど、ほとんどの子どもが経験していることである。その99パーセント以上が、それをきっかけにして将来医師になろうとは思わない。だからこれだけ言われても、なぜ面接対象者が医師を目指そうと思ったのか、さっぱり分からないのである。加えて面接対象者は少なくとも18歳以上になっているはずなのに、幼い頃から今まで「たかがその程度の理由」で医師を目指し続けている、というのもおかしな話である。確かに子どもの頃なら個人的な体験をもとにして憧れを抱くことは大いにあり得るが、人間は歳を重ねるごとに様々な体験を積み重ね、視野を広げてゆくものである。その過程の中で、「医師」という仕事にどのような魅力や働き甲斐を感じたのか、といった話は出てきても良い筈である。自分の地域の医療の現状や、新聞・テレビ等で見たり聞いたりしたことなども重ね合わせて、「他者の命を預かる仕事」としての医師に魅力を感じた、ということであれば、面接官もそれなりに納得がゆく。
また、「身近な人の病気や死」を志望動機とする人もいるが、それもまた不十分である。上記の例でも述べたように、同じ体験をしても99パーセント以上の人はそれをきっかけとして医師になろうとは思わない。その中で自分だけが医師を目指そうというのであれば、それ相応の「必然性」を感じさせるような「別の理由」が必要となる。「友人の病気を自分が治せるようになりたい」という気持ちを抱くのは、確かに尊いことであるが、それはあくまでも「きっかけ」であり、そこからもっと多くの人へと視野を広げてゆくことで、医師としての本来の業務を果たすのにふさわしい人間だと見なされるのである。
私立医学部を目指す人の大半が、両親や祖父母、親戚のいずれかに「医師」がいる人である。よって志望動機の大半が「父(など)の背中を見て憧れを抱いた」というものになる。この理由は上記二つの理由に較べると必然性においてより説得力を持つ。ただしこの理由は現在では半ば「テンプレート化」していて、現在の面接官はこの言葉だけを聞いてもほとんど納得することはない。実際、「背中を見る」ということがどのようなことなのかを、面接対象者が分かっているかどうか疑問である。だから、予備校の面接対策などで「簡潔に述べるのがよい」と言われて、この決まり文句を呪文のように唱えるだけで黙り込むような生徒は、面接官の評価対象とはならない。「聞き飽きた」と言われた実例もある。ここからは仮に「父」に限定して話を進めるが、父はどこで何科の医師をしているのか、どれくらい一生懸命患者と向き合っているのか、医師としての苦労ややり甲斐についてどのような話を聞いたか、それを聞いて自分がどう思ったか、そこから自分が医師という職業にどのような魅力を感じたか、といったことについて、何か付け加えることが重要となる。
いずれも自分の体験や「医師の子ども」という境遇をきっかけとして、次第に自己の視野を広げながら、自己の役割を踏まえて責務を果たす覚悟を持っている状態になっていることを表明することが、実際の「医師の志望理由」の表明としてはふさわしいのである。もちろん、こうしたことを2分も3分もかけて長々と話せ、と言っているわけではない。まずは骨組みだけが分かるような話を長くても1分程度でまとめ、「簡潔に」説明することが重要だと言っているのである。面接官がその話に興味を持ってくれれば、きっと「質問」を投げかけてくれる。そこでさらに自分の思っていることや体験したことを話せれば、印象は非常によくなる。逆に答えられなければ、面接対象者が「付け焼刃」で面接に臨んだことがバレてしまうので、評価が下がる。「医師の志望理由」は面接官が最も重視している質問なので、相応の覚悟を持って、きちんと自分の話すべき内容、考えていることなどをまとめておく必要があるのである。
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