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(公理)②:日本語表現力(その2)

 いまどきの生徒が小論文を苦手としているのは、どの順番でどう書けば書いたことになるのかを授業等で教えてもらっていない、ということが一因としてある。小中高と「作文」を書かされるわけだが、「書き方」そのものを定式化して教えてもらっているわけではない。「序論・本論・結論」や「起承転結」といった漠然とした方法論を教わることもあるが、それがどういう意味を持ち、どのような仕方で「作文」を成立させることになるのかについては、おそらく学んでいないはずである。そしてこうした方法論の一切が、私にとっては「論理性」を欠いたでたらめにしか思えない(理由は後日述べる)。
 「論文」という形式は西洋が起源であり、「説得の術」の一つである。どのようにすれば相手を説得できるのかについて、西洋人はギリシャ時代の昔からとことん研究してきた。場合によってはごまかし方や不正の仕方に至るまで、彼らは事細かに研究し、それを現在の「論文」にも生かしている。その中で一つだけ述べておくが、西洋人には「起承転結」の「転」の概念はない。なぜなら「転」には論理の一貫性を支える構造が存在しないからである。私はこのことを中井久夫の『清陰星雨』(みすず書房)で学んだ。彼等の論理の考えを無理矢理「起承転結」に当て嵌めたら「起承承結」となるそうである。
 実際の理科系の論文なら、「問題提起→仮説→理由→証明方法(実験の根拠)→実験の内容(具体例)→結論→展望」という形になるだろう。これを医系小論文のレベルに還元すると「テーマ確認→主張→理由→具体例→結論→展望」となる。小論文の客観性は、こうした論理の正当性によって支えられている。生徒はこのことを理解することが必要である。
 ただし一方で、医系小論文は生徒の「人間性」を確認する手段でもある、と前に述べた。日本人にとっての人間性の要素としては「寛容さ」「尊厳重視」「対等性・平等性」も挙げられる。つまりは「相手の意見を受け入れ、共感しつつ、妥当な結論へと向かってゆく」という姿勢である。よって小論文の文字数が600字を超えるようであれば、その中に「反論→反論の理由→反論の否定→反論の否定の理由→(必要があればその具体例)」というプロセスが必要となるのである。相手を受け入れつつ、それをさらに乗り越えて自分の主張が出来れば、それもまた小論文の客観性を支えることになるからである。そして実は、こうした考え方も、ギリシャ時代の昔から「哲学」の世界では存在していた。
 ギリシャ哲学で最も有名な人物といえばソクラテスであるが、彼自身は1冊も書物を残していない。彼の哲学は全て弟子のプラトンが著作に残してくれていたので、現存しているのである。そのプラトンが書いたソクラテスの哲学の方法は全て「対話(ディアレクティーケー)」によって進められる。つまり「主張→理由→反論→反論の否定」の繰り返しなのである。「弁証法(dialectic)」は、この流れの一部分を切り取った形で展開したものである。そうした対話のあり方が、現代においては「人間性」に通じてくるのである。
 もちろん、生徒にここまで知っておいて欲しいとは、思っていない。ただ、生徒に意味のない小論文は書いて欲しくないし、書かせてはいけない、と個人的には思っている。教える側が肝に銘じておくことである。
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玄武庵

Author:玄武庵
日本の片隅で予備校講師をしながら旺文社(入試問題正解)・教学社(赤本)等で作問・解答・解説等の仕事をしています。小論文は自分の頭で考えて書くことが一番大事ですが、その際の参考にしてもらえるとうれしいです。頑張ってください。(※コンテンツはすべて無料です)

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